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来たるべき「瞬間」のために——黒から白へ・白から黒へ——大倉佑亮

人は考える葦であるが、彼/彼女の偉大な仕事は、意図せず考えない時になされる。自己を忘れること〔無心〕への長年の道の訓練によって、「子供のごとくあること」が回復されなければならない。このことが到達されると、人は考えるが考えない。人は、空から降りそそぐ雨のように考える。海原にうねる波のように考える。夜空に瞬く星のように考える。さわやかな春風に萌む木の葉のように考える。彼/彼女は、実に雨であり、海原であり、星であり、木の葉なのだ。

 

オイゲン・ヘリゲル著『弓と禅』における、鈴木大拙による序文より(筆者訳)

 

 

 

ここに、弓道ならぬ、写真道(!)と書道という方法において、近代主義(モダニズム)の限界を突破する可能性を探りたい。その道のふたりの人間——中平卓馬と森 ナナ——の方法は、極めて近接しながら、何かが決定的に違っている。

 

多くの人が認めるように、写真家・中平卓馬(1938–2015)が「カメラになった」[i]と称されるなら、書家・森 ナナ(1990–)は「紙になった」と言って良いのではないだろうか。「カメラ」とは、空っぽの暗箱=〈黒〉であり、「紙」とは、白紙=〈白〉である。この中平=〈黒〉と、森=〈白〉の対極の方法を凝視してみよう。

 

〈黒〉

1960年代から写真家、かつ批評家として注目を集める存在となった中平が、写真・映像論「なぜ、植物図鑑か」(1972)発表以降に志向した写真術は、鈴木大拙(1870–1966)が言う意味で「自己を忘れること〔無心〕」=記憶障害(1977)になって達成されたと考えられないだろうか。

このことは、中平が言葉による厳密な写真批評によって、原稿用紙をひたすら文字で埋め尽くすように構想したが故の〈黒〉い結末——それまでの「中平卓馬」の死——であったと語られることが多い。

 

中平が志向した写真=イメージは、「あらゆる陰影、またそこにしのび込む情緒を斥けてなりたつ」ものとして、目の前の具体的な像を指すのではなく、「植物図鑑」という比喩によってしかその存在を説明できなかった。いや、むしろ批評家・八角聡志氏が指摘するように、そこには中平の論理の矛盾や飛躍が確かにある。

中平が考える写真=イメージの在り方は、キリスト教の否定神学のように、このようにもないし、あのようにもない!という否定的な言辞で常に語られ、中平がそれを饒舌に言葉にすればするほど、絶対的な神のようにその超越性を担保し続け、観念的なものになってしまった。

写真家であり批評家でもあった中平は、自らの批評によって、言葉=イメージという言動の一致を迫られ、言語のダブル・バインドが、中平に記憶障害という病を忍び込ませてしまった、と語られている。[ii]

 

〈白〉

森の書は、中平がひとり抱え込んだこの問題系——言葉とイメージ——において、まず見てみるのがよい。

「書」はそもそも毛筆で文字や言葉を書くことだとされているが、森は、「書」における文字の側面(言葉による詩や情緒表現)を退け、「書」行為の形式=〈一回性〉を追求する。始点があり終点がある一回という限定的行為=型の中で、湧き出してくる線のイメージを、彼女の身体が獲得するまで何度も書き、意識と無意識の間で、「紙の向こうからも形になる瞬間」があるという。

 

では、その「形」とはいかなるものなのだろうか。

美しく書くとか、正しく書くでもない、〈たんに一回で書くこと〉に賭けながら、その書線が持つ造形性において、森の書は特徴的である。

筆が着地すると同時に、線には造形が立ち現れ、始点終点という時間軸にしたがって伸びゆく線形的な時間が確かにありながらも、そこにはそれを同時に打ち消してゆくような非線形的な時間性、多次元的な空間性が感じられる。

線=形=イメージ=文字と、瞬間的に結ばれていくかのように、東アジアの「書」の伝統である〈漢字〉の成立起源=象形文字誕生の瞬間——近代から古代へ——と一気に遡行するように、「書」とはこのように在る!と森によって宣言される。森の作品は、「書」を内側から外側に裏返した構造体ではなかろうか。

まるで〈いのち〉を吹き込まれたかのように躍動する森の「形」——線=形=イメージ=文字——は、世界の、わたしたちの、来たるべき象形文字として、まさに胎動状態にあるのではないだろうか。

 

〈黒〉

写真道という道なき道をひとり開拓した中平は、批評=言葉(ロゴス)によって原稿用紙を埋め尽くし、もはや書く余白がどこにも残されていないという、〈黒〉い——カメラになる——方法=記憶障害によって、「無心」にならざるを得なかった。

カメラになることで、世界を文節化し断片化する機能をその本質に持つ、言葉(ロゴス)とカメラ、に内蔵されるあまりに近代的な二項対立を内破し、イメージ=言葉/イメージ≠言葉、が同時に成立しうる——来たるべき言葉のために[iii]——という「沈黙」——それまでの「中平卓馬」の死——の地平に立たざるを得なかったと考えられる。〈黒〉い方法とは、「沈黙=死」に至る認識論的無限退行、という註を忘れず付すべきなのだ。

 

〈白〉

一方、森の方法である「書」には、型がある。〈一回性〉をただ守るという儀礼的な暗黙知=道(DO)があるからこそ、「書」は言葉(ロゴス)によって、その型である〈一回性〉そのものを批評することはない。重要なのは、型から始めることなのだ。

森の書の可能性の中心は、言葉(ロゴス)によって何かを表象することではない。むしろ、「書」における全ての言葉(ロゴス)的側面を否定しながら、意識と無意識の間で、型のみを追求できるくらい〈白〉い——紙になる——方法において、線=文字/線≠文字が同時に成立しうる「形」を生み出すことにあるのではないだろうか。[iv]〈白〉い方法とは、〈一回性〉という有限なる「生=形」の存在論的実践なのではないだろうか。

 

2022年に生きる私たちは今、きっとこの〈黒〉から〈白〉へのゆるやかなグラデーションの中に立っているのではないだろうか。いや、そもそも私たちは〈白〉い世界に生まれたのではなかったか、と問うてもよい。しかし、その〈白〉だけでは生きていけないのもまた人間なのだ。
美術評論家・清水穣氏が、美術手帖最新号(2022年7月号)に寄せた「月評第140回」は、「ART SHODOの現在」についての批評であった。偶然か必然か、清水穣氏はかつて中平卓馬について論じていたし、偶然か必然か、中平の父親は、書家・中平南谿であった。

 

洋画家・小山正太郎(1857–1916)と、思想家・岡倉天心(1863–1913)による「書ハ美術ナラス」論争(1882年)から、140年経った2022年、日本の美術大学における初の書画コースが、京都芸術大学に創設された。書ハ美術デスカ?

ならば、「書」(カリグラフィー)は、「写真」(フォトグラフィー)よりどれくらい遅れているのか……?あるいは……。

いや、そのような〈日本近代美術〉というロゴス的な文脈に回収されるばかりでなく、多くの人が、森 ナナの作品と対峙し、吟味し、享受する「瞬間」を願うばかりである。

 

白紙に一回で書く筆触の中に、自ら進んで消えてゆく愉悦を、瞑想を——あの「瞬間」を。

 

 

大倉佑亮

 


 

[i] 2006年に初公開された、小原真史氏が監督したドキュメンタリー映画『カメラになった男―写真家 中平卓馬』がある。

筆者は最近この映画を拝見したが、記憶障害を患って以降の中平が、鈴木大拙の言う「子供のごとくあること」という表現が適切すぎるように、「子供のごとく」話し、撮影し、生きていた様子が確かに伺える。

 

[ii] 中平の記憶障害の内実に関しては、学術研究から美術、写真界における批評、噂まで様々あるが、ここでは、1988年に発表された写真評論家・伊藤俊治氏による「肉化の亀裂と縫合」における、言語によるダブル・バインドによる記憶障害説を採用した。

 

[iii] 1970年に刊行された中平の初の写真集『来るべき言葉のために』(風土社)には、次のような自らの行く末への先見的な「沈黙」への認識がある。

「すべての言葉のゆきつく先、あるいは言葉のうまれ出るその端緒に、当の言葉をはねのけ、あらゆる命名を拒絶する不透明な「沈黙」の領域がある。そして、それがすべての言葉を支え、活性化する最も根源的な何ものかであるに違いない」

[iv]  森のこれまでの全ての作品には、タイトルがない。それは「無題」とか「untitled」というレベルの話ではない。筆者が、森といくつかの作品を前に話すときには、「アレ・ソレ・コレ」などの指示代名詞が飛び交う。筆者はまさに迷走である。

 

 

 

大倉佑亮|OKURA Yusuke

1988年 兵庫県生まれ、京都市在住。京都大学総合人間学部 創造行為論専修 卒業。2014年にChim↑Pomの卯城竜太が講師を務めた美學校のプログラム「天才ハイスクール!!!!」に参加。

2020年から寳幢寺僧院長/武術家、龍源師に師事。現在、京都芸術大学美術工芸学科非常勤講師、KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭などの国際芸術祭の企画・運営・コーディネーションなども務める。

キュレーションした展覧会に、石川竜一+森 ナナ展「絶景の瞬間」The 5th Floor(東京  2021年)がある。

 

 

©︎Ryuichi Ishikawa

 

 

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