長沢慎一郎
Mary Had a Little Lamb
©Nagasawa Shinichiro
2025年8月1日[金]-8月31日[日]
時間:13:00-19:00
休廊:月・火・8月11日[月]-8月15日[金]
《展示入れ替えあり》
前半:8月1日[金]-8月10日[日]
後半:8月16日[土]-8月31日[日]
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羊を見ることはできるか? : 長沢慎一郎 「Mary Had a Little Lamb」 について
横浜美術館 館長 蔵屋美香
写っているのは、打ち捨てられた倉庫のような空間です。ここはどこなのか、何を納めるための場所なのか。意図的に隠され、忘れ去られたものを写真により可視化して、これが何なのか見る人に考えてほしいと作家は言います。
「Mary Had a Little Lamb」(2024年)は、小笠原諸島(英名: Bonin Islands)の父島を舞台とする作品の第二部にあたります。第一部は、この島の「欧米系」と呼ばれる人びとを写した「The Bonin Islanders」(2021年)です。
父島は特異な歴史を持っています。1830年、無人だったこの島に最初に定住したのは、イギリス人、アメリカ人、デンマーク人、ハワイ先住民からなる20数名の移民団でした。1876年には日本の領土となり、6年後に全員が日本国籍を取得。第二次世界大戦中には、日本軍の要塞となったこの島から本土への疎開が行われ、「欧米系」島民は激しい差別を受けました。島は敗戦後の1946年からアメリカの統治下に置かれました。1968年の日本返還までの間、帰島を許されたのは、本土で生きることの困難を訴えた「欧米系」島民129名のみでした。
「The Bonin Islanders」に登場する多くは、統治時代の前後に生まれた人びとです。
アメリカ海軍発行の出生証明書や旅行許可証に「皮膚の色または人種」として記された「Bonin Islander」を自らの拠り所としています。日本人の住めない島に住むがアメリカ人ではない、という特殊な事情から設けられた区分です。アメリカ人ではないとされたものの、アメリカの大きな力に守られた統治下の22年は、コミュニティが傷ついたアイデンティティを立て直すための大事な期間だっただろうと想像します(1)。
この豊かな暮らしの背後で、アメリカは、1956年2月から65年12月までの10年間、父島に核弾頭とミサイルを配備していました。父島は、冷戦下のアメリカにとって戦略上重要な位置を占めていたのです(2)。長沢が撮影したのは、アメリカが旧日本軍の清瀬弾薬本庫を転用して核兵器を格納した「Kiyose vaults」の一部です。この事実は極秘とされましたが、島民の多くは気付いていました。「Mary had a little lamb (メリーさんの羊)」とは、ここにあった核弾頭の愛称です。
二つのシリーズにはこのように、端正な画面を眺めるだけでは読み取れない複雑な背景があります。自ら調べ、知ろうとしない限り、シリーズを十全に理解することはできません。しかしまた、「何が」写っているのかの知識の獲得は、それが「いかに」視覚化されているかに依拠します。つまり、写真が視覚にまつわる表現である以上、「何が」を知ることと同じぐらい、「いかに」について考える必要があるのです。
この点を写真集『Mary Had a Little Lamb』によって見てみましょう(3)。まず現れるのは、大きなヴォールト天井と、その下にある頑丈な扉がついた倉庫のような、いわば建物内の建物です。次いでこの倉庫を、壁一面に銅板が張られた内側から捉えたショットが出てきます。ここから先は、腐食が進む銅板やリベット、扉を覆うサビなどのクローズアップが続き、徐々に空間の全体像は捉えがたくなっていきます。
中には、天井の同じ場所を同じ構図で写した一対のイメージもあります。しかし一対は、色もディテールもかなり異なって見えます。60年前に放棄されたこの場所には電気がきていません。長沢は、その都度軍用のライトで必要な場所を照らしながら撮影を行いました。
つまり2枚の画像の差異は、その時の光のあたり具合と、カメラがそこからどんな情報を読み込んだかにより生じているのです。
最初に述べたように、長沢は、忘れられ、不可視になったものを可視化しようと試みます。しかし「Mary Had a Little Lamb」では、まず、画面に姿が残るのは光が当たった部分のみです。次に、その見え方は時々の光と機材によって変化します。加えて、カメラが腐食やサビなどの細部に寄るたび、光の外にある空間は闇に消えます。思えば父島のシリーズ全体がわたしたちに呼びかけるのは、見えないものが写真によって可視化されている、だから目を凝らそう、ということではないのかもしれません。むしろそれは、カメラが捉え、写真として見せるものを疑い、そこに写らなかったものを想像しようと静かに訴えかけるのです。
「Bonin Islanders」に写る人びとはみな、島の明るい陽光のもとでポーズを取っています。
背景には、星条旗のある庭の一角や、英語の店名を掲げた米軍住宅風の建物など、彼らにとって大切な場所があります。しかし、この画面の外には、長沢があえてフレームからはずした、アメリカ時代の痕跡が失われつつある父島の日常が広がっています。また、彼らのいる場所が光に照らされてくっきりと見えれば見えるほど、当然ながら、 その持続を裏で支えた核の存在は意識の闇に沈みます。「Mary Had a Little Lamb」で長沢は、他ならぬその闇にあかりを持ち込みました。しかしカメラが捉えたのは、一瞬の光に浮かび上がる幻のような画像でした。
童謡「メリーさんの羊」の日本語の歌詞で、いてはならない学校に入り込んだ羊は、先生に追い出され、どこかに姿を消します。父島に関する二つのシリーズは、わたしたちに、羊はどこへ行ったのか、考え続けるよううながします。多くが闇に隠され、見えるものもあやふやだからこそ、わたしたちは知りたい、見たいという欲望に駆られます。不可視の過去を見ようとすることは、未来を見ることにつながっています。
註
1. 戦中戦後の欧米系島民については次に詳しい。David Chapman, “Different Faces, Different Spaces: Identifying the Islanders of Ogasawara,” Social Science Japan Journal, Vol. 14, No. 2 (Summer 2011), pp. 189-212.
2. 父島の核兵器配備については次を参照。真崎翔「米国の核戦略に組み込まれた小笠原諸島」『同志社アメリカ研究』第50 号、同志社大学アメリカ研究所、2014 年3 月、47-68、および、信夫隆司「小笠原返還における核持ち込み問題」『政経研究』第54 巻第2 号、公益財団法人政治経済研究所、2017 年9 月、pp.1-41. 信夫によれば、1968 年の返還時、将来的な有事の際の核兵器再配備をめぐり、日米で議論が交わされたという。
3. 長沢慎一郎『Mary Had a Little Lamb』赤々舎、2024 年。林規章のブックデザインは、右ページの「見えるもの」に対して左ページを黒一色とし、「見えないもの」を表している。
長沢慎一郎|Nagasawa Shinichiro
写真家
1977年東京都生まれ。
2001年、藤井保氏に師事。2006年に独立。
2008年より小笠原諸島·父島での撮影を開始。
2021年、写真集『The Bonin Islanders』(赤々舎)刊行。
2024年、『Mary Had a Little Lamb』(赤々舎)刊行。
2025年、第49回木村伊兵衛写真賞受賞。
Shinichiro Nagasawa
Photographer
Born in Tokyo in 1977.
Studied under Tamotsu Fujii in 2001 and began working independently in 2006.
Since 2008, he has been photographing on Chichijima in the Ogasawara Islands.
Published The Bonin Islanders (Akakasha) in 2021, followed by Mary Had a Little Lamb in 2024.
Recipient of the 49th Kimura Ihei Photography Award in 2025.